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差別。

昨年末あたりから、会社に入ってソシャゲのイラストを制作したり、他のイラストレーターさんに振ったり
というお仕事をしているのだけれど、歳の所為か、会社というのに所属すると、
ほぼほぼ社員の教育をやらされる。それも、常人にはお手上げレベルの人の教育をやらされる事が多い。

コミュ症ぎみの人にお客さんとの折衝を教えたりとか。時間読みできない人にスケジュールの立て方を教えたりとか、そんなん。
これって、教わらないとできない事か!?俺教わったことないぞ!?って事がおおい。

教育「だけ」やればいいんだったら少々力入れてやるんだけどねぇ。
制作の生産性は落とすなと。

考えてみると、小学校のころから「がんばれ学級」みてー人のサポートをやらされてたなーと思う。
今やってる教科書のページを開いてやったり、授業を聴くように言ったりするやつ。
きっと、そういう人の面倒を見る星回りなのだろう。

フツーの人はそういう作業をスルーするのが上手。
のわりに「知恵おくれちゃんを人を差別すんのやめようぜ」みたい事を言う。馬鹿かと。

まさかすは全く逆である。「差別は必要」だと思う。
一定の行動が出来ない人をその他大勢と一緒には扱えないし、そこにはなんらかの形での差別が必ず必要だと思っている。
友人に言わせるとそれは差別ではなくて「区別」なんだそうだが、結局差別っしょ。

そのかわり常人には言わなくていい事を言ったり、サポートすりゃいいじゃんと思っている。
「それで良くなるのなら。」

そして、ここからが本題なのだが、
自分自身はさして彼らに「良くなってほしい」とか、「なんとかほかの人についていけるように」とかを
思ってないんだな。

そこには愛と希望はありません。
悲しいかな。自分が教えるような事は
●挨拶をしましょう
●遅刻はしないようにしましょう
とか、そのレベルの事なので、それをイイ年こいて出来ないってことは、
たぶん一生できないんだろうなぁと思う。マジで。

行動しないでキレイ事だけ言うのは誰だってできるし、おかしな話なので、差別が嫌な人はボランティアにでも走ればいいんだよな。俺全然ボランティアとかしたくねーもの。

以上。

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